2004年7月7日水曜日

らしさとは何か

アナタらしいって何?
ワタシらしいって何?
自分らしいって何だろう?

学生のアンケートで今後の目標を「自分らしくあり続けたい」という回答がやたら目立つ。会社選びの基準も自分らしくいられる会社であり、私の個性を発揮できる会社だと言う。

じゃあアナタらしさって何?と私は思う。

養老孟司は「死の壁」で、個性なんてものはないと言っている。生まれもっての身体的特徴や性格が個性だとも言っている。

私の上司は1万人近くの学生の面接経験があり、学生にこうアドバイスする「自分らしいあろうという心配はしなくていいですよ。どこで働いても自分らしくいられますから」と。

私も学生の頃は頭でっかちで、個性を身につけたいとか、私らしくいられないのは嫌だとか、そんなことばっかり言っていたし、働き始めたばかりの頃もこの会社では自分らしさを忘れてしまうと愚痴っていた。

今になって思うのが、どこにいたって何していたって自分は自分ということだと思う。勿論生き生きして輝いている自分が一番いいし、それが自分らしいと思いたいけれど、落ち込んでいるときも自分らしく落ち込んでいるのだと思う。明るくて順調でいられる時が自分らしいと思ってしまうのは大きな勘違いで、挫折したりこれまでにない状況に追い込まれてもそこから這い上がった時に更なる新しい自分らしさを身につけられると思う。

どんなときでも一生懸命がんばっていなければ自分の望む自分らしさは身に付かないと思う。自分らしさを考えてばかりいる時は特に自分がないんだと思う。

自分らしさを身につけたい、自分を磨き続けたいのなら一生懸命になったり、真剣ればいい。考えてばかりいないで動くことが大事だ。

2004年7月6日火曜日

乙女の反動

仕事ではスーツを着ることが多い。ほぼ毎日スーツを着て、特に大事なイベントがあるときは白シャツに黒スーツと決まっている。アクセサリーもほとんど身につけず最小限のおしゃれもしないでイベントに挑むことが多い。多い月で半分をこの黒スーツルックで固めたりする。

そういう日々を送っているとだ。反動だと思うのだが、派手でブリぶりかわいいものに目が留まるようになる。ウィンドウショッピングをしていると、黒や紺や白のものには目もくれず、ピンクや赤でフリルやリボンのついたガーリーで乙女なものについつい引き込まれてしまう。

昨日久しぶりに買い物をしたら、恐ろしく乙女なワンピースばかり試着してしまった。ピンクでAラインのタイト。前も後ろもぐりっと大きくあいて花柄で小さいフリルが付いていた。着てみて一瞬思った。あ、かわいいじゃん。お店の人も「上品でいいですよ」と言う。かなーり惑わされたあげく自分がその布に包まれて町を歩き友達とばったり出会うところを想像してみた。はっと気づいた。これじゃやりすぎだ。これは私ではない。気持ち悪いぐらい乙女だ。

そのワンピは結局買わなかったけれど、試着しただけで私の真っ黒スーツの気分は少し和らいだ。やっぱり人間って着てるものに気分を左右されるもの。黒いスーツは見た目に引き締めてくれるだけではなく、心の華やかさも奪う。ブリブリ花柄のワンピは気持ちをお花畑気分にしてくれるのだ。私はちょっと柔い少女の気持ちに帰りたくて、こんなかわいいワンピを試着しちゃっただけなんだね。で、実際買ったのもラベンダー色したなかなかカワイイ系なんだけどさ。

心の赴くまま求めるまま洋服選ぶのって面白い。自分の欲求が見えてくる。試着はタダだ。お試しあれ。

2004年7月5日月曜日

デイアフタートゥモロー

昨晩デイアフタートゥモローを観た。
災害系映画の王道を行く作品で、インディペンデンス・デイやディープ・インパクトやアルマゲドンやザ・コアなどなどとそのうち記憶が同化してしまうだろうなと思った。

災害系映画は大抵の作品が
・主人公が科学者(地政学者、気象学者、物理学者)で、初めに唱える説は周囲から批判される
・家族愛と恋愛がごちゃまぜ
・アメリカ VS 地球規模の災害や地球外生物
・自らを犠牲にして地球を救おうという英雄がいる
(アメリカが地球を救うという壮大なテーマでもある)
・英雄を救うために仲間の一人は死ぬ
・アメリカの大統領が演説する
・地球のほかの国が壊滅してもアメリカだけは生き残っている

という共通点を持っている。
世界はアメリカを中心に回っていると思っているから作れる映画なんだろう。

この手の作品に斬新さはもうない。どれも似た作品なのに次々と公開されるのが意外でもある。

バカラの水差し

バカラ水をとると、水がゆれてグラスの光が反射する。
七色にゆれる水にうっとりしてしまいます。

ベネチアングラス

ベネチアングラス
もともとは透明なお椀だったところに、内側を緑色の漆で塗り抹茶用のお椀に変身!
底は透明のままで涼を感じます。

2004年7月4日日曜日

お茶の裏世界を銀座でのぞく

今日はいろんな意味で勉強になった日だった。
大人の裏社会と言おうか、商売の仕組みと言おうか。大げさに言えば400年以上茶道の伝統が続く仕組みの根底を見た。

私は茶道を学んでいる。時間の許す限り毎週土曜日のお稽古に通っているが、ここ2ヶ月は仕事がハードで一日も行けなかった。先週出張ピークを終えてほっと一息。そんなとき、タイミング良く舞い込んだお話がお茶会のお誘いだ。お誘いと言っても、こちらが振る舞う方で飲みに行く方ではない。しかも漆の展覧会を見に来た人に横でお茶を点てて振る舞うと言う。会場は銀座。「展覧会の横でお茶を点てる」、そんな経験ないけれど、面白そう!ということで楽しみにしていました、今日という日を。

会場に着くなり何かが違うと思った。展覧会と聞いていたのだが、銀座の老舗の漆屋さんの店内にお茶道具がずらっと並んでいる。しかも○十万はするような品ばかり。その奥にひっそりお茶をサービスできるコーナーがあった。全て準備済み。あとは点てるだけのお膳立てまでしてあった。お茶菓子は金沢から取り寄せ、茶碗はベネチアングラスの内側を漆塗りで手が込んでいる。水指しはバカラのグラス。洒落た道具が揃っていた。こんな良いお茶道具でお手前点てられるなんて、嬉しい!!一緒にいた仲間も皆そう思っていたはずだ。

ところが、お店が開いても誰も来る気配がない。振る舞う相手がいない一同は店内をうろつき始めた。
「こんないい道具見られる機会はないわよ。目にご馳走よ。」なんて先生は言うし。すると気がついた。お店の人にソフトにお棗を薦められていた。いくばくか割引もできるとか、若いうちだからこそ買っておくといいよとか、しまいにはお勤めされていれば月々のローンも楽ですと言われていた。

ここで気がついた。お客様が来たらお茶をもてなすのではなく、私たちがお店にとってのお客様だったのだ。お客様が見えるまでは自分たちでお茶を点てて飲んでいたが、お客様である私たちを私たち自らもてなしていたのだ。

お昼以降はエスカレートした。お弁当はお店が用意してくれていると聞いていたら、お弁当どころかお昼の懐石料理店に連れて行かれた。たっぷりおいしいご飯をご馳走になり満腹笑顔でお店に戻るが、やはりお客様は来ない。いよいよお客様である私たちは営業トークの射撃に合う。年配の方から順に。私みたいなひよっこには連射はないが、残り玉ぐらい打ち込まれる。数万円ぐらいの品をすすめられた。

午後2時30分。
この射撃が終了したのは、先生がお棗購入を決めた瞬間だった。もちろん○十万円もする品だ。そしてお客様は誰も来ず、お茶を振る舞う相手もいなくその日の展覧会は終了した。

帰り道、私たちはどこか複雑な気持ちを抱えていた。世間知らずのせいでもあろうが、やっぱりお茶を振る舞うことができると思って参加した今日一日は、すっかり売り込みの的にされうんざりして鈍い気持ちになっていた。ビジネスの一つのカタチと言えばそうだけれど、私たちは趣味の一つとして参加していたから・・・

今日のようなカタチでお茶道具は売れ、道具の文化は廃れることなく続いてきたのであろう。そう思うとお道具を買えない自分にもジレンマを感じたし、そういうふうにしか残っていけない文化というのにもジレンマだった。

趣味の程度で始めた。お道具を見るのも楽しいし、良いお道具で目が肥えていくのも自分として嬉しい。お茶を愛してくる過程がそこにはある。物事深く知り始めれば良い面もあって悪い面もある。両方をよく知った上で好きと言えるものが好きなんだろう。そう思った。

2004年7月3日土曜日

くたばってしめいとフランス人

私の友達にサンパなフランス人がいる。
日本に来て8年目。
日本語は流暢という域を超えて、普通の日本人より尊敬語や謙譲語がきっちり話せるし、しかも福岡弁も流暢な面白くて頭のいい人だ。

知り合ってもう半年以上経つのだが、
今日初めて日本に来たきっかけを詳しく聞いた。
「留学生として来日したとね。言語が好きで。」

ふーん、で、何を勉強したの?
「二葉亭四迷の論文を書いたねー」

え???二葉亭四迷?
そう、あの「くたばってしめい」であり、浮雲であり、言文一致運動の二葉亭四迷だ。
フランス人のくせに二葉亭四迷に手を出すとは。
スゴイ・・・・。

ちなみに一緒にいた日本人は人の名前だと理解するまでに数分要した。それはちょっとヒドイ。

日本でフランス人の人と知り合って話すとクロサワ、ミシマ、オヅ、カワバタなどなど日本映画や文学の大御所をよく知っている。
もちろん、日本に滞在にしているぐらいだから日本好きで日本に詳しいのは当たり前と言ってしまえばそれまでだが、在日する外国人の中でもフランス人はずば抜けていると思う。

私の友達の話に戻れば翻訳書ではなく原文で読んでいるから更にずば抜けている。

「云ふ」ってなんやー
とか思ったそうだ。
「このいぬハくろデ、よくほえマス。」
となぜだか登場してくるカタカナにも苦労したとか。日本人でも原文はハードル高いよね。

そんな彼の苦労話を聞いているうちに、
私も日本人として近代文学を読んでみようかなっと
触発された。

二葉亭四迷についてフランス人と盛り上がる。
違う視点があって面白そう!

よし、浮雲から始めよう。

2004年7月2日金曜日

家族のかたち

今朝、ニュースで保坂尚輝の離婚会見を見た。
記者があおっているのか常にけんか腰のトークに見えた。それで保坂尚輝の不幸せ度が高まって見えた。

保坂さんが繰り返し述べていて、記者が納得していなかったのが
「2人は離婚した今も同居していて、何も変わらない」という事実。

同居しているし今でも家族と言い張るなら離婚する必要はないじゃないかーと言いたげな記者と番組のコメンテーター達。

見ていて思ったのは日本もフランスみたいになっていくのかなってことだった。

フランスでは半数近くの夫婦が離婚する上、離婚しても週末は一緒に過ごしたりしている家族が多い。
結婚なんて無意味だからといって籍を入れないカップルも多い。しかも籍を入れていないカップルの子供も法律上認められている。

欧米のスタイルが進んでいると言い立てるのは私はあまり好きじゃない。彼らのやり方に合っているだけであって日本人に合うとは別の話だと思う。

とはいえ、方向が欧米に向かうことが多い。
私は意外と保守的で離婚とか週末婚とか離れ離れの家族が増加するのには反対。
うちの母は意外と自由で、ま、それも時代の流れよね、なんていう。

これも時代の流れなのでしょうか。

2004年7月1日木曜日

「のみにけーしょん」

ちょっと昔に「のみにけーしょん」って言葉が流行っていたかと思う。お酒が入ると饒舌になって普段よりコミュニケーションがやりやすくなる。
飲みながらのコミュニケーションってことで「のみにけーしょん」。

ブームに乗じてか
「自社ビルの最上階はバーで、残業の合間に同僚と勢いづけにちょこっと一杯やる。会社の経費だからお財布を気にせずに。」
なんてベンチャー企業があるというのを聞いた。
私はそういう洒落た会社には弱いが、お酒にも弱い。羨ましいような、そうでないような気分で聞いていた。

それで、「のみにけーしょん」ってどんなもんよ?と思っていたのだが、私の現在勤める会社ではバリバリののみにけーしょん活動が盛んな会社ということが入社3ヶ月目にして明らかになる。
というか噂ではずーっと聞いていたんだけども。

そして私にも「のみにけーしょん」の良さを実感する日がついにやってきた!!

昨晩は一人女性が辞めるということで送別会。
送別会だからなのかいつもなのか、のむのむのむ。
イッキやりまくりだ。

ま、いかにのむかはさておき、のみにけーしょんの醍醐味を味わえたのは普段話さない人とおしゃべりできたこと。

部署が違うと、半径10M以内で働いているだろう人々とは、いつも「おはよう」と「お疲れ様」の挨拶ばかりだった。

「のみにけーしょん」効果があってか、楽しいおしゃべりにもまれ、新たな一面を発見できる人も。

「のみにけーしょん」って面白い。
数ヶ月後、私がただの飲んべえになっていないといいのだけれど。

2004年6月29日火曜日

退屈な地下鉄を抜け出し

私はいきなりですが、歩き始めた。
会社から自宅までの帰り道を歩き始めた。
うん、それはエクササイズのつもりで始めたんだけれども、道の面白さを再発見した。
例えば帰り道、大通りを通らないで西麻布の民家をくねくねと通り抜けてみる。
青山から西麻布のあたりはお洒落なイメージばっかりあるけれど、小さーい路地があって面白い。
車も通れないような細い道の突き当たりにアパートやお家が密集していて、昔ながらの雰囲気も残っている。通りはファッションで着飾った人ばかりでなくて、おばあちゃんや赤ちゃんを連れたお母さん、犬の散歩をする人。普通の住宅街みたいな光景なんだ。
そしてもう一つのたまらない行為はお気に入りの家を発掘すること。オレンジの壁が斬新なお家や古い木造建築のお家などなど、個性的なお家にも出会えます。この家にはどんな人が住んでいるんだろーなんて考えながら、歩き続ける。
退屈な地下鉄を抜け出し、ちょっと刺激的でしょ。