
利休の美学を前衛芸術としてひもといていく芸術論。著者赤瀬川原平。
前衛芸術とは何か、がまず理解しづらいので、ちょっと難解な部分もある。前衛とは何かに対して攻撃だったり斬新で新しいことを指すよう。アバンギャルドとほぼ同義語のよう。筆者の芸術上の概念「トマソン」とも表現される。このあたりは、茶道を学んでいる人より芸術論に詳しい人の方が納得感をもって読めるのかもしれない。
興味深いのは茶道の源流を韓国にみているところ。
茶道の背景となる禅的思想や、お茶そのものは大陸からやってきたものだが、筆者は実際に韓国を訪問している。にじり口の原型となるような入り口のついた、小さな小間を見つけ、茶室に通じると感じている。小さな小間でも、日本にやってくることで繊細で芳醇な文化となったことに、韓国人と日本人の違いに関心をしめす。
井戸茶碗は、あの大雑把さが素朴で良いわけで、日本人が創ろうとすると繊細なものになってしまって真似できないそうだ。そういう感性の違いは、風土の影響があるだろう、と。
また、当時の面影をまったく残さない堺にも行き、何かを感じようとしているところが好感をもてる。結局、戦争で全て焼けてしまった堺はコンクリートのビルと民家が建ち並ぶ普通の市街地。利休の足跡は見つからない。
ちょっと読みづらいけれど、こうやって茶道や利休を自分なりに考察してみるのって面白そうだな、と思った。
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