『華氏9・11』が公開間近になってきたことで、ニュースでよくマイケル・ムーア監督が取り上げられるようになってきた。
アメリカではマイケル・ムーア支持派と反対派が過激な論争を交わし、マイケル・ムーアを批判するための『アメリカが嫌いなマイケル・ムーア』というドキュメンタリー作品の製作も決まっているらしい。
こうなってくると目には目をドキュメンタリーにはドキュメンタリーをという具合で、もはやドキュメンタリー映画の領域を超えて政治思想を反映したプロパガンダ映画合戦に突入しているように思える。
ドキュメンタリーで有名な監督ニコラ・フィルベールは真の意味でドキュメンタリー映画など存在しないと断言し、自分はドキュメンタリー監督ではないとも言う。
「どんな自然な映像も、監督の意図するよう編集されてしまう。自然な映像も必要な部分とそうでない部分に分けられてeditされていくうちに100%客観的ではなくなり、監督の主観が入るのを避けられないのです」
改めてドキュメンタリーとは何か考えさせられる言葉だ。
ドキュメンタリーと聞くと、人はその作品から真摯なメッセージを受け取ろうと作品鑑賞に挑むと思う。しかしアメリカで繰り広げられているドキュメンタリー合戦は、加熱すればするほど本質から離れていくような気がしてならないし、映画作品というものから離れていくように見える。
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