2004年7月31日土曜日

桜木町

b291fbe1.jpg今日は大好きな桜木町周辺で一日を過ごした。ランチを母と彼と3人でして、その後は桜木町と中華街をウロウロウロウロ。やっぱり桜木町のあたりは大好きだな。海があって空が高い。大好きな景色。気持ちがフレッシュになる景色。原点に帰るんだなーこのあたりにいると。とにかくがんばろうっていう前向きな気持ちが生まれてくるところ。

みなとみらい線が開通して以来、東横線の桜木町駅がなくなって不満ぶーぶーだったけれど、今日初めて馬車道駅と元町・中華街駅を利用したらなかなか便利だった。

どちらの駅も、カラーを出そうとしているのが面白かった。パリの地下鉄は駅によって壁のデザインや駅名のデザインが工夫されていておしゃれなのだけど、みなとみらい線はパリのようにちょっとがんばっていた。馬車道駅は赤れんが風。元町・中華街駅はレトロな港の開港初期を装いつつ、モダンな印象もある。JRや私鉄の駅はどれも同じだからこういうがんばりって楽しいよね。ま、観光地だからこれぐらい当然かな。

2004年7月30日金曜日

フローラン・ダバディ氏

先日、フローラン・ダバディを街で見かけた。トルシェ監督の通訳係として来日し、今では文化ジャーナリストだったり、ファッション誌に登場したり、本を執筆したりとセレブな活躍をみせているフレンチの彼である。

家に帰って買ったばかりの雑誌を開くとなんとさっき会ったばかりのダバディさんが執筆した記事が載っていて、読んでみたらけっこう面白かった。ダバディ節が炸裂していた。つまりとってもコスモポリタンな意見なのだ。

記事の内容は、「オリンピックは滅び行く方向に向かっている。これからは国のためではなくて個人が自分のために戦う『人』を祝う祭典にしよう!」といったものだった。

コスモポリタンな地球ではプロのアスリートは自国にいることにこだわらず、腕を磨ける国へと移っていく。昨日までフランス代表チームで戦っていたアスリートが、今日にはアメリカの代表選手として戦っていることだって起こりうるのだ、と言いたいらしい。

国境という枠にとらわれず、いいものはいい!という彼のメッセージはちょうど1年前に聞いたことと通じるものがあった。

昨年の6月下旬、横浜で毎年開催されるフランス映画祭にゲスト出演し、フランス映画への熱い思いを語るとともにあまりフランス人らしからぬコメントが面白かった。

時期としてはそう、アメリカとフランスがイラク戦争に対して異なる方針をうちだして険悪ムードが漂っている頃だったので、フランス絶賛、アメリカ大批判で終わると予想していた。ところが、

「フランス映画だから面白いとかハリウッド映画だからつまらないというのではもうナンセンス。もっと広い視野で文化を捉えたい。どこの国から生まれた映画だから面白いというのではなくて面白いものは面白いものとして評価していきたい。そうすることが互いの国の文化を成長させるのではないか。」

ダバディさんの前に美輪明宏氏もゲストで来ていてコメントの際はアメリカを批判しまくり、フランス映画およびフランス文化をを絶賛した後だった。
同調しないダバディさんの横で、美輪さん、ちょっとしかめっ面になるという感じだった。自分の主張を述べたダバディさんはちょっとかっこよく見えた。

一見するとちょっとミーハーなコスモポリタンに見えるダバディさんだが、去年のフランス映画祭以来、ただの軽いセレブじゃないんだなと見直した。

今回のオリンピックの記事も面白かった。見た目も頭脳もスマート!ダバディさん気になる存在になりつつあるのだった。

2004年7月29日木曜日

フリペ激戦区

4a9f2138.jpg麻布十番はフリペ激戦区。
飲み食いどころは豊富だし、六本木ヒルズ効果で一躍マスコミの脚光を浴びている。というわけで、麻布・六本木・広尾を扱ったフリペが入り乱れている。麻布十番の地下鉄への狭い入り口では常に誰かが何かを配っている。

フリペだけで言えば「アソビッブ」「ホットペッパー」「麻布時間」「チェキランチ」などなど、通勤ラッシュのサラリーマンを目当てに朝から配布に励んでいる。

「アソビッブ」は六本木ヒルズのオープンとともに登場!テレビ東京の番組紹介やキャスターのインタビューが載っているところを見ると、テレビ東京が企画したんだろうな。だいたいイケイケギャル系姉ちゃんが白いミニスカ姿で配っている。

「ホットペッパー」は言わずもがな、女の子大好きのクーポンマガジン。地下鉄入り口付近で身を乗り出して大声で叫ぶ。こちらは元気なお兄ちゃん。

「麻布時間」は麻布十番に新しくできるマンションの建設会社が企画したらしい。麻布を大人の街に位置づけ、オトナ時間を演出したコンテンツで、エグゼクティブや共稼ぎ夫婦をターゲットにしているようだ。2回発行していて、かたせりのや志村けんが表紙を飾っているところからもターゲットの年齢層は高いことが伺える。写真の質は高く一番お金かけてそうな感じ。一度、日英併記で新聞風のも増刊していたが内容は乏しかった。こちらもイケイケ姉ちゃんが配っている。

「チェキランチ」は実は今日初めて見た。またまたクーポン系かと思いきや、ランチに限定したクーポン。特筆すべき内容ではないが、ランチ限定というところで面白さを出したのだろう。これは普通のお姉さんだった。

麻布に店が多いと言ったってこれだけのフリペがあればお店の数にも限界がある。たいしておいしくもない店が特集で取り上げられていたりすると腑に落ちなかったりする。

この手のフリペが次から次へと生まれてくるのに、それでもそれぞれがそれなりの特色を持っているし、広告がついているからすごいと思う。そしてどのフリペが生き残り、どのフリペが消えていくのか・・・。行方が気になるのであった。

2004年7月28日水曜日

ハリネズミな関係

大学時代の友達でハリネズミの関係みたいな友達がいた。似たもの同士で一緒にいるとわかりあえた。彼女の突飛に見える行動も私にはどうしてだかわかったし、私のこともよくわかってる子だった。

似たもの同士で理解しあえるってことがわかると頻繁に会うようになった。そうするとなぜだかうまくいかなかった。毎日会って毎日おしゃべりすると思ったよりも居心地が良くなかった。互いのあくの強さがちょっとづつぶつかった。

同種類だから近くにいると安心する。なんとなくよりそってもみたくなる。けれども、近づきすぎるとお互いのもつトゲがちくちく痛い。それって、私たちハリネズミみたいだねって笑った。

行動的で好奇心旺盛で無防な私たちは、海外旅行もチャレンジャーだった。待ち合わせはアイルランドのダブリン。そこからヨーロッパ最西端の島アラン諸島まで一緒に旅をした。たった一泊二日を供にして、それぞれの旅に戻った。道中あんなに仲良しだった2人は旅から帰るとまたさっぱりした関係に戻った。

きっとお互い一目おいていたんだろう。ライバル意識みたいなものもあっただろう。単に親しい友達に送る視線とは違うものを確かに私は持っていて、この子にはかなわないと思う反面負けたくないと思う気持ちがいつもあった。親友と言う言葉はあてはまらないかもしれないけれど、特別な存在だった。

卒業して3年も経つとそれぞれの道が分かれてくる。彼女は秋から留学することになった。私のハリネズミが遠く旅立つような感じがする。でもきっと何年後かに会っても意気投合できるんだと思う。

2004年7月25日日曜日

『グレープフルーツ・ジュース』

注文していたオノ・ヨーコの『グレープフルーツ・ジュース』がやっとお家に届いた。

全身を使って読むような本。頭を使うのではなくて感覚を使う。理解するのではなくて、感じようとすること。不可能はない。時間のベクトルが未来へしか進まないとしたら、それすらも違うと思えてくる。

読み終えたら、きっと人それぞれの感じ方があるんだと思う。私はそれはそれは、全身が地球とつながってるみたいで、果てしない気持ちと、愛おしさを感じた。大自然の中にいても大都会の中にいても生きることは感じることだ。

ただし、オノ・ヨーコからの「最後の命令」には従えないけれど。

冷やし抹茶

9664c25a.jpg夏になるとたまらなく好きな冷やし抹茶。冷たいお抹茶の方がお抹茶の味が強く感じるけれど、のどごしはまろやかに感じるから不思議。この時期はぬるい抹茶より、氷水で点てる冷たーい抹茶は意外性もあってか、好評の一品。

季節感を出すのも楽しみの一つ。夏用の平茶碗を使って飲むと見た目にも涼しい。夏用にガラスのお茶碗がもう一個欲しいな、と欲深になってしまうのだった。

2004年7月24日土曜日

茶道の先生が嘆く訳

今日茶道の先生に会うと嘆いていた。
「31年間先生を続けて今年初めて部員が入らなかったのよ」と。

先生は自宅で茶道を教える他に神奈川県の高校の茶道部の先生もしている。今年が31年目。それで初めて1年生の部員が入らなかったのだそうだ。職員室に行くと学生の全体の人数が減っていることを聞き、募集に力を入れても効果は出ないという。嘆くしかないというわけだ。

今の時代、お稽古ひとつ選ぶにも選択肢は数限りない。フラメンコ、カポエラ、ボクシング、インド舞踊、ベリーダンス、ヨガ等等、私の友人の習い事をあげるだけでもこれだけは挙がってくる。茶道よりも刺激的で面白そうなものばかり。

けれど茶道は長くやればやるほどはまってしまう奥深さがある。と私は思っている。だから高校生ぐらいから始められるって結構贅沢だと思うんだけどなー。

2004年7月21日水曜日

蜘蛛の恋占い

たいていの場合私は虫は嫌い。虫はだめ。でも家にいる虫の中で見つけても放置しておく虫がいる。いたことを見て見ぬふりをしてしまう。それは蜘蛛。今日も同居人の蜘蛛ちゃんが部屋をうろうろしていた。

子供の頃、蜘蛛を殺すと悪いことが起こると聞いたことがある。それに蜘蛛は家を守ってくれているとも。で、今も蜘蛛を見つけても畏敬の念もあり、殺そうなんて思えるわけもなくとにかく放っておくことにしている。

こんな感じで蜘蛛が他の虫とは別扱いの人は多いに違いないが、蜘蛛がもっと別格で特別な存在だった時代がある。

古代日本では蜘蛛が天井から下がってきたり、網を作っていたりすると、その夜恋人がやってくると信じられていたのだそうだ。男性が女性のもとに通っていたので、女性の側の恋占いの一種で、蜘蛛を見ると怖がったりするどころか、嬉しかったのだろう。「あの方が今夜いらっしゃるんだわ」と信じていたのだろうな。

2004年7月20日火曜日

今日も明日も焼き肉苑

夏になると焼肉やへ足を運ぶ頻度が異様に増える。
夏バテかと少しでも怪しいときは焼肉やへ。お肉とニンニクとキムチでスタミナつける。これが私の夏バテ回避コース。三日連続で行ったこともあるのは焼肉苑。この夏の猛暑に負け早速今日も焼肉苑へ。

麻布十番には韓国大使館があるので、たくさん焼肉やさんがある。本格派の焼肉やさんはたくさんあって値段も高めで足は近づかない。そんな中でも焼肉苑は安くておいしくて元気のあるお店で名物チック。何度行っても何度も行きたくなるお店。一人2000円でビール一杯のほろ酔いとお腹いっぱい気分になれること間違いなし!

お店の経営者は「それでもヤクザはやってくる」の著書で、本やらテレビに出ました!の張り紙がたくさん貼ってあって少々うるさい感じ。隣の席の人とも近いのでやや熱い感じ。

ここ数ヶ月で会社のボスに感動的に柔らかい特上ロースのある焼肉屋や、感動的に分厚い牛タンのお店に連れて行ってもらったけれど、やっぱり行きなれた安くておいしい焼肉苑は落ち着くんだな。

あーまた明日も行きたいわー

2004年7月17日土曜日

無骨な宣伝??

現在公開中の『イザベル・アジャーニの惑い』http://www.elephant-picture.jp/madoi/
私は去年のフランス映画祭横浜の開催中にこの作品を観ていた。そのときは原題のタイトル『アドルフ』を使用していた。

見所はイザベル・アジャーニの美貌であり、それに近づくスタニスラス・メラールの美しさも超一級。二人の美しさを観ているとそれでよしの映画だが、原作はBenjamin Constantの『アドルフ』だし、恋する美青年の苦悩がはかなくも美しい絵を観ると、やっぱり映画のタイトルも『アドルフ』のままでいいじゃんと思ってしまう。

日本でのイザベル・アジャーニの知名度にあやかってか邦題を『イザベル・アジャーニの惑い』にしたのだろう。宣伝だってイザベル・アジャーニが主演といちいち説明しなくてもいいから近道だ。

去年公開された『僕の妻はシャルロット・ゲンズブール』の時もそうだった。原題は『僕の妻は女優』で、シャルロット本人も自分の名前が邦題に使われているのは映画の意図することとは違うと正直に答えていた。

映画の邦題へのタイトル化は難しい。宣伝マンを悩ますのだろう。原題のままでは面白さも伝わらない。特にフランス映画はただでさえ知名度が低いだけに、主演女優の名前を使っちゃえってことになるんだろう。宣伝の戦略には仕方のないことだ。でも、ハリウッド映画だったら、『ニコールキッドマンの惑い』なんてタイトルはありえないだろうな。そう思うと日本で観るフランス映画の宣伝って無骨だよね。

2004年7月16日金曜日

キムチの謎が解けた時

いまだかつてない韓国ブームにのってか、フジテレビの月9ドラマ「東京湾景」が始まった。あんまり面白くなさそう・・・と言いながらも在日韓国人の友達のことを思い出し、気が付くとしっかり第2話も見ていた。

私の友人の美樹ちゃんはこのドラマの中の仲間由紀恵ふんする木本美香とちょっと似ていた。25歳、在日韓国人3世で彼氏は日本人。両親はともに韓国人だが日本に帰化していて、名前も外見も中身も日本人にしか見えない。ドラマと違うのは美樹ちゃんはもっとさらっと人種をとらえていた。

美樹ちゃんに知り合ったのは旅先でのこと。ドイツで同じユースホステルに泊まっていてベッドが上と下の関係から始まった。意気投合してドイツの小さな村で丸一日一緒に観光した。いっぱいおしゃべりをした。日本にいる彼氏や家族のこと、ドイツ周遊中に出会った珍事件などなど。その中で一つ同じ体験をしていた。

私    「外国にいると中国人とか韓国人に間違えられるよねぇ。」
美樹ちゃん「あるある、私もこの間韓国人に韓国語で話しかけられてびっくりした。日本人って韓国人と顔似てるもんね」

このとき美樹ちゃんはまだ自分のことを韓国人だと知らなかった。日本に帰ってから私は横浜、彼女は大阪在住で、もう会うこともないかなと思っていたけれど、1年後美樹ちゃんが私の家を訪ねてきた。「横浜に遊びに来た」

一緒に中華街をまわって、小さな路地の韓国料理屋の前で美樹ちゃんが言った。

「私、実は韓国人やねん」

彼女は20年間日本人だと思って育っていた。そして20年目にして初めて親から告白されたそうだ。
両親も韓国人。親戚もおばあちゃんもみーんな韓国人だと、このとき知った。「ちょっとショックだったけど、生活も特に変わらないし、彼氏も最初は驚いてたけど、今は何も変わらない」そうだ。

両親は隠そうとしていたわけではなかった。
子供にもタイプは色々ある。傷つきやすい子、感じやすい子には成長の過渡期には伝えないほうがいい。彼女の弟は自分が韓国人だと知っていた。中学生ぐらいから知っていて、お姉ちゃんには黙っておくようにと親に言われた。かくして身内の中で彼女だけがそれまで韓国人であることを知らなかったのだ。

美樹ちゃんはこのとき一つの疑問を解決した。子供の頃からずーっと疑問に思っていたけれどわからなかったこと。

それは自分の家の食卓には毎日キムチがあった。親戚の家にもおばあちゃんの家にも当たり前のように自家製キムチがあった。でも友達の家に遊びに行くとキムチはない。何でだろう・・・?とずっーと思っていたそうだ。

以来、美樹ちゃんからは1年に1度キムチのおいしい時期になると、自家製キムチが送られてくる。おいしいよ、また食べてね!とのメッセージ付きで。

韓国人でも日本人でもあまり変わりなく、むしろ韓国人であることを楽しむかのように今をたくましく生きる美樹ちゃん。

私にとっても彼女が何人であろうとあまり関係ないのであった。

2004年7月14日水曜日

「リズ・シャルメル」とトヨタの関係

「リズ・シャルメル」

女性ならば一度は買ってみたいと思わせるゴージャスなレースが魅力的なフランス生まれの高級下着ブランド。いわゆる勝負用下着にふさわしく値段も相当高い。

しかし、凝った刺繍と繊細な色合いを見るとその価格を納得せざるを得ない。ブラは1万8000円、ショーツは8000円はする。全国各地のデパートやショッピングモールで販売していて、見るたびにそのラブリーさに私の心もくすぐられていた。

実はこのリズ・シャルメル、生産方式があの日本のトヨタ方式らしい。今日たまたま手に取った雑誌に「リズ・シャルメル」の文字を発見すると自然と目が走った。1976年に設立され、90年以降急成長。現在42カ国で販売し、設立当時50人だった従業員は今では1100人にものぼるそうだ。この成長のカギは、トヨタ式を取り入れることで作業の標準化、品質の向上を達成したことだ。

フランスの高級下着メーカーと日本のトヨタ生産方式。意外な組み合わせではあるが、良い物は国を超えて共有されるべき。そして何よりあの憧れのリズ・シャルメルに日本の頭脳が生かされているなんて、何とも誇らしいではありませんか!!

2004年7月12日月曜日

ブームは代わる代わるやってくる

ランチタイムで会社の人と好きな食べ物の話になった。お互いの好きな食べ物を聞いたりして、「えーそんなものが好きなの??」とか「えーそんなものも食べられないの?」といった具合で、好きな男のタイプとか好きな女のタイプを聞くみたいに好みは人それぞれで妙に盛り上がった。

私は食べるのが好きだから一番好きな食べ物は?と聞かれるとけっこう困る。イタリアンも中華も和食もフレンチも何でも好き、と答えるしかない。でもよくよく考えると私はその時期その時期ではまる食べ物がある。

高校生のときはパンが大好きでパンの会という全国規模のネットワークに入っていて、パンを食べる会にはしょっちゅう参加していたっけ。おいしいパンやさんの本を手に、都内のパンやさんを食べ歩いたことも。おそばが好きな時はランチにおそばばかり食べていた。若者の街渋谷に出かけてもそばやを探していたり。お好み焼きが好きな時はしょっちゅう作って食べていた。ちょっと前はお豆腐が好きで、お豆腐屋さんで大量に買っていたな。できあがる朝がおいしいということでできたての時間をねらい買いに行ったりした。

好きな食べ物にブームがある。しばらくするとその熱が冷めては新たな食べ物のブームがやってくる。これって熱しやすく冷めやすい私の性格なんだね、きっと。

2004年7月9日金曜日

心おきなく週末気分

濃密な週末だった。しかも久しぶりに開放感があった!

土曜日はほおずき市に初めて行った。毎年7月9,10日と日が決まっていて、今年は土日だったことから例年より多くの人が訪れたそう。確かに、ものすごい人で仲見世通りがなかなか進まず、初詣の時を彷彿させた。

ほおずき市はテレビで観たことがあるだけだったのだけれども、先月浅草歩きの楽しさを覚えてしまい、その延長線上で出かけたのだった。ほおずきを一鉢買い、今は青々としているほおずきちゃんがお盆前に赤くなるというのが待ち遠しい。

夜は女子バレー、ワールドグランプリをビール片手に観戦!ポーランド戦負けちゃったけど。私は大山かな選手がお気に入り。オリンピック予選では出番が少なくてやきもきしたけれど、今回はけっこう活躍している。スランプの時期があってコートにたたせてもらえずしばらくベンチにいた彼女がやっと戻ってきて言った言葉「コートにたてるそれだけで嬉しい!」これ聞いて「がんばれっ」とすっかり応援したい気持ちになってしまった。アタックが決まった時のパワフルな喜びは観ていてすがすがしい。パワフル・カナとか呼ばれちゃってるけど肌がきれいでけっこうきれいな子。そういう点も○です。

バレーボールで盛り上がった後はDVDを観たり、久しぶりの夜更かしでした。

日曜は選挙に行ったり久しくあっていない友達と長電話したりであっという間に終わっていた。人とコミュニケーションとっているときってなんと時間のたつのが早いことか!とっても充実した休日気分にさせてくれました。プラス、夜になると女子バレー観戦・・・

しばらくバレー観戦にはまりそうである。

2004年7月8日木曜日

心の中でI miss you

胸がきゅんとさびしくなる思いをした。

大学3年生のときから去年まで、毎年開催される映画祭のスタッフを続けてきた。映画祭の名前はネクストフレーム・ジャパンと言う。アメリカのテンプル大学が発祥の地で世界各国の学生フィルムを集めコンペティションにかけ、優秀作品のみを上映する映画祭だ。学生ものというと正直つまらないイメージを持つが、あなどるなかれ。海外、特にアメリカでは一度映像関係の仕事に就いた人がもう一度勉強しようと学生に戻ったりするので、プロの作品に近いものが集まる。優秀作品は見ごたえのあるものばかりだ。

5年前というと、ショートフィルムのはしりであり、コンテンツブームにあいまってショートフィルムはもてはやされていた。私は広報スタッフをしていたが、IT系の会社の人からよくお声がかかった。「ネクストフレームの作品をブロードバンドで放送させていただければ、いくらかビジネスになりますよ」と。

幸か不幸か、ネクストフレームの作品の版権は本国アメリカが管理していたので、やりとりがややこしい。しかも2,3分の作品も多く、製作者はかなりの数に上る。我らが実行委員会が製作者一人ひとりとネゴするだけの体力を持ち合わせていなかった。そんなわけで社会のブームにのるわけでもなく、ただひたすら独自路線を行く映画祭として今まで生き残ってきたのである。

運営は麻布にあるテンプル大学ジャパンが主に動き、その脇を映画に興味を持つ社会人や他大学の学生が固めた。東京国際フォーラムで3日間にわたってイベントを行うので、なかなかのやりがいがあった。

やりがいがあるということはそれなりに大変ということで、自由時間が持てなくなるとスタッフは少しづつ抜けていく。でも映画だし国際的だしということで興味を持つ人がちょっとづつ入ってくる。楽しい仲間と出会っては別れる。そしていつしかやる気みなぎる古スタッフは激減し、縮小傾向。かく言う私も2,3ヶ月かかる準備は手伝えず、当日スタッフとしてのヘルプしかできない。さらには主導権を握っていたテンプル大学の先生も具合を悪くして、主催が難しくなってしまい、新しいディレクターにまかせることになった、と今年になって聞いていた。

偶然にも新しいディレクター、その人は知り合いであり、映像監督でもある人。ドイツ人から見た日本に関する映画の製作に携わったり、いい作品を作る人でかなりユニークで尊敬できる人だ。この人なら映画祭をいい方向に持っていってくれる!ということで安心しきっていた。

安心はしていたのだが、今日そのリニューアルされたHPを見たら、映画祭の名前が変わっていた。NextFrameJapanがNextFrameNIPPONになっていたし、会場もお馴染みの東京国際フォーラムから渋谷の某ミニシアターに変更していた。

映画祭が存続してくれるのは嬉しい。なくなっちゃうのは嫌。でも名前も場所も変わってこれから形式もかなり変化していくだろうなーと思った。港を離れる舟を見送る気分。港に残される私と旅立つ舟。Have a nice tripと叫び、心でI miss you。
これからはお客さんとして観にいくよ。

2004年7月7日水曜日

らしさとは何か

アナタらしいって何?
ワタシらしいって何?
自分らしいって何だろう?

学生のアンケートで今後の目標を「自分らしくあり続けたい」という回答がやたら目立つ。会社選びの基準も自分らしくいられる会社であり、私の個性を発揮できる会社だと言う。

じゃあアナタらしさって何?と私は思う。

養老孟司は「死の壁」で、個性なんてものはないと言っている。生まれもっての身体的特徴や性格が個性だとも言っている。

私の上司は1万人近くの学生の面接経験があり、学生にこうアドバイスする「自分らしいあろうという心配はしなくていいですよ。どこで働いても自分らしくいられますから」と。

私も学生の頃は頭でっかちで、個性を身につけたいとか、私らしくいられないのは嫌だとか、そんなことばっかり言っていたし、働き始めたばかりの頃もこの会社では自分らしさを忘れてしまうと愚痴っていた。

今になって思うのが、どこにいたって何していたって自分は自分ということだと思う。勿論生き生きして輝いている自分が一番いいし、それが自分らしいと思いたいけれど、落ち込んでいるときも自分らしく落ち込んでいるのだと思う。明るくて順調でいられる時が自分らしいと思ってしまうのは大きな勘違いで、挫折したりこれまでにない状況に追い込まれてもそこから這い上がった時に更なる新しい自分らしさを身につけられると思う。

どんなときでも一生懸命がんばっていなければ自分の望む自分らしさは身に付かないと思う。自分らしさを考えてばかりいる時は特に自分がないんだと思う。

自分らしさを身につけたい、自分を磨き続けたいのなら一生懸命になったり、真剣ればいい。考えてばかりいないで動くことが大事だ。

2004年7月6日火曜日

乙女の反動

仕事ではスーツを着ることが多い。ほぼ毎日スーツを着て、特に大事なイベントがあるときは白シャツに黒スーツと決まっている。アクセサリーもほとんど身につけず最小限のおしゃれもしないでイベントに挑むことが多い。多い月で半分をこの黒スーツルックで固めたりする。

そういう日々を送っているとだ。反動だと思うのだが、派手でブリぶりかわいいものに目が留まるようになる。ウィンドウショッピングをしていると、黒や紺や白のものには目もくれず、ピンクや赤でフリルやリボンのついたガーリーで乙女なものについつい引き込まれてしまう。

昨日久しぶりに買い物をしたら、恐ろしく乙女なワンピースばかり試着してしまった。ピンクでAラインのタイト。前も後ろもぐりっと大きくあいて花柄で小さいフリルが付いていた。着てみて一瞬思った。あ、かわいいじゃん。お店の人も「上品でいいですよ」と言う。かなーり惑わされたあげく自分がその布に包まれて町を歩き友達とばったり出会うところを想像してみた。はっと気づいた。これじゃやりすぎだ。これは私ではない。気持ち悪いぐらい乙女だ。

そのワンピは結局買わなかったけれど、試着しただけで私の真っ黒スーツの気分は少し和らいだ。やっぱり人間って着てるものに気分を左右されるもの。黒いスーツは見た目に引き締めてくれるだけではなく、心の華やかさも奪う。ブリブリ花柄のワンピは気持ちをお花畑気分にしてくれるのだ。私はちょっと柔い少女の気持ちに帰りたくて、こんなかわいいワンピを試着しちゃっただけなんだね。で、実際買ったのもラベンダー色したなかなかカワイイ系なんだけどさ。

心の赴くまま求めるまま洋服選ぶのって面白い。自分の欲求が見えてくる。試着はタダだ。お試しあれ。

2004年7月5日月曜日

デイアフタートゥモロー

昨晩デイアフタートゥモローを観た。
災害系映画の王道を行く作品で、インディペンデンス・デイやディープ・インパクトやアルマゲドンやザ・コアなどなどとそのうち記憶が同化してしまうだろうなと思った。

災害系映画は大抵の作品が
・主人公が科学者(地政学者、気象学者、物理学者)で、初めに唱える説は周囲から批判される
・家族愛と恋愛がごちゃまぜ
・アメリカ VS 地球規模の災害や地球外生物
・自らを犠牲にして地球を救おうという英雄がいる
(アメリカが地球を救うという壮大なテーマでもある)
・英雄を救うために仲間の一人は死ぬ
・アメリカの大統領が演説する
・地球のほかの国が壊滅してもアメリカだけは生き残っている

という共通点を持っている。
世界はアメリカを中心に回っていると思っているから作れる映画なんだろう。

この手の作品に斬新さはもうない。どれも似た作品なのに次々と公開されるのが意外でもある。

バカラの水差し

バカラ水をとると、水がゆれてグラスの光が反射する。
七色にゆれる水にうっとりしてしまいます。

ベネチアングラス

ベネチアングラス
もともとは透明なお椀だったところに、内側を緑色の漆で塗り抹茶用のお椀に変身!
底は透明のままで涼を感じます。

2004年7月4日日曜日

お茶の裏世界を銀座でのぞく

今日はいろんな意味で勉強になった日だった。
大人の裏社会と言おうか、商売の仕組みと言おうか。大げさに言えば400年以上茶道の伝統が続く仕組みの根底を見た。

私は茶道を学んでいる。時間の許す限り毎週土曜日のお稽古に通っているが、ここ2ヶ月は仕事がハードで一日も行けなかった。先週出張ピークを終えてほっと一息。そんなとき、タイミング良く舞い込んだお話がお茶会のお誘いだ。お誘いと言っても、こちらが振る舞う方で飲みに行く方ではない。しかも漆の展覧会を見に来た人に横でお茶を点てて振る舞うと言う。会場は銀座。「展覧会の横でお茶を点てる」、そんな経験ないけれど、面白そう!ということで楽しみにしていました、今日という日を。

会場に着くなり何かが違うと思った。展覧会と聞いていたのだが、銀座の老舗の漆屋さんの店内にお茶道具がずらっと並んでいる。しかも○十万はするような品ばかり。その奥にひっそりお茶をサービスできるコーナーがあった。全て準備済み。あとは点てるだけのお膳立てまでしてあった。お茶菓子は金沢から取り寄せ、茶碗はベネチアングラスの内側を漆塗りで手が込んでいる。水指しはバカラのグラス。洒落た道具が揃っていた。こんな良いお茶道具でお手前点てられるなんて、嬉しい!!一緒にいた仲間も皆そう思っていたはずだ。

ところが、お店が開いても誰も来る気配がない。振る舞う相手がいない一同は店内をうろつき始めた。
「こんないい道具見られる機会はないわよ。目にご馳走よ。」なんて先生は言うし。すると気がついた。お店の人にソフトにお棗を薦められていた。いくばくか割引もできるとか、若いうちだからこそ買っておくといいよとか、しまいにはお勤めされていれば月々のローンも楽ですと言われていた。

ここで気がついた。お客様が来たらお茶をもてなすのではなく、私たちがお店にとってのお客様だったのだ。お客様が見えるまでは自分たちでお茶を点てて飲んでいたが、お客様である私たちを私たち自らもてなしていたのだ。

お昼以降はエスカレートした。お弁当はお店が用意してくれていると聞いていたら、お弁当どころかお昼の懐石料理店に連れて行かれた。たっぷりおいしいご飯をご馳走になり満腹笑顔でお店に戻るが、やはりお客様は来ない。いよいよお客様である私たちは営業トークの射撃に合う。年配の方から順に。私みたいなひよっこには連射はないが、残り玉ぐらい打ち込まれる。数万円ぐらいの品をすすめられた。

午後2時30分。
この射撃が終了したのは、先生がお棗購入を決めた瞬間だった。もちろん○十万円もする品だ。そしてお客様は誰も来ず、お茶を振る舞う相手もいなくその日の展覧会は終了した。

帰り道、私たちはどこか複雑な気持ちを抱えていた。世間知らずのせいでもあろうが、やっぱりお茶を振る舞うことができると思って参加した今日一日は、すっかり売り込みの的にされうんざりして鈍い気持ちになっていた。ビジネスの一つのカタチと言えばそうだけれど、私たちは趣味の一つとして参加していたから・・・

今日のようなカタチでお茶道具は売れ、道具の文化は廃れることなく続いてきたのであろう。そう思うとお道具を買えない自分にもジレンマを感じたし、そういうふうにしか残っていけない文化というのにもジレンマだった。

趣味の程度で始めた。お道具を見るのも楽しいし、良いお道具で目が肥えていくのも自分として嬉しい。お茶を愛してくる過程がそこにはある。物事深く知り始めれば良い面もあって悪い面もある。両方をよく知った上で好きと言えるものが好きなんだろう。そう思った。

2004年7月3日土曜日

くたばってしめいとフランス人

私の友達にサンパなフランス人がいる。
日本に来て8年目。
日本語は流暢という域を超えて、普通の日本人より尊敬語や謙譲語がきっちり話せるし、しかも福岡弁も流暢な面白くて頭のいい人だ。

知り合ってもう半年以上経つのだが、
今日初めて日本に来たきっかけを詳しく聞いた。
「留学生として来日したとね。言語が好きで。」

ふーん、で、何を勉強したの?
「二葉亭四迷の論文を書いたねー」

え???二葉亭四迷?
そう、あの「くたばってしめい」であり、浮雲であり、言文一致運動の二葉亭四迷だ。
フランス人のくせに二葉亭四迷に手を出すとは。
スゴイ・・・・。

ちなみに一緒にいた日本人は人の名前だと理解するまでに数分要した。それはちょっとヒドイ。

日本でフランス人の人と知り合って話すとクロサワ、ミシマ、オヅ、カワバタなどなど日本映画や文学の大御所をよく知っている。
もちろん、日本に滞在にしているぐらいだから日本好きで日本に詳しいのは当たり前と言ってしまえばそれまでだが、在日する外国人の中でもフランス人はずば抜けていると思う。

私の友達の話に戻れば翻訳書ではなく原文で読んでいるから更にずば抜けている。

「云ふ」ってなんやー
とか思ったそうだ。
「このいぬハくろデ、よくほえマス。」
となぜだか登場してくるカタカナにも苦労したとか。日本人でも原文はハードル高いよね。

そんな彼の苦労話を聞いているうちに、
私も日本人として近代文学を読んでみようかなっと
触発された。

二葉亭四迷についてフランス人と盛り上がる。
違う視点があって面白そう!

よし、浮雲から始めよう。

2004年7月2日金曜日

家族のかたち

今朝、ニュースで保坂尚輝の離婚会見を見た。
記者があおっているのか常にけんか腰のトークに見えた。それで保坂尚輝の不幸せ度が高まって見えた。

保坂さんが繰り返し述べていて、記者が納得していなかったのが
「2人は離婚した今も同居していて、何も変わらない」という事実。

同居しているし今でも家族と言い張るなら離婚する必要はないじゃないかーと言いたげな記者と番組のコメンテーター達。

見ていて思ったのは日本もフランスみたいになっていくのかなってことだった。

フランスでは半数近くの夫婦が離婚する上、離婚しても週末は一緒に過ごしたりしている家族が多い。
結婚なんて無意味だからといって籍を入れないカップルも多い。しかも籍を入れていないカップルの子供も法律上認められている。

欧米のスタイルが進んでいると言い立てるのは私はあまり好きじゃない。彼らのやり方に合っているだけであって日本人に合うとは別の話だと思う。

とはいえ、方向が欧米に向かうことが多い。
私は意外と保守的で離婚とか週末婚とか離れ離れの家族が増加するのには反対。
うちの母は意外と自由で、ま、それも時代の流れよね、なんていう。

これも時代の流れなのでしょうか。

2004年7月1日木曜日

「のみにけーしょん」

ちょっと昔に「のみにけーしょん」って言葉が流行っていたかと思う。お酒が入ると饒舌になって普段よりコミュニケーションがやりやすくなる。
飲みながらのコミュニケーションってことで「のみにけーしょん」。

ブームに乗じてか
「自社ビルの最上階はバーで、残業の合間に同僚と勢いづけにちょこっと一杯やる。会社の経費だからお財布を気にせずに。」
なんてベンチャー企業があるというのを聞いた。
私はそういう洒落た会社には弱いが、お酒にも弱い。羨ましいような、そうでないような気分で聞いていた。

それで、「のみにけーしょん」ってどんなもんよ?と思っていたのだが、私の現在勤める会社ではバリバリののみにけーしょん活動が盛んな会社ということが入社3ヶ月目にして明らかになる。
というか噂ではずーっと聞いていたんだけども。

そして私にも「のみにけーしょん」の良さを実感する日がついにやってきた!!

昨晩は一人女性が辞めるということで送別会。
送別会だからなのかいつもなのか、のむのむのむ。
イッキやりまくりだ。

ま、いかにのむかはさておき、のみにけーしょんの醍醐味を味わえたのは普段話さない人とおしゃべりできたこと。

部署が違うと、半径10M以内で働いているだろう人々とは、いつも「おはよう」と「お疲れ様」の挨拶ばかりだった。

「のみにけーしょん」効果があってか、楽しいおしゃべりにもまれ、新たな一面を発見できる人も。

「のみにけーしょん」って面白い。
数ヶ月後、私がただの飲んべえになっていないといいのだけれど。