2004年7月8日木曜日

心の中でI miss you

胸がきゅんとさびしくなる思いをした。

大学3年生のときから去年まで、毎年開催される映画祭のスタッフを続けてきた。映画祭の名前はネクストフレーム・ジャパンと言う。アメリカのテンプル大学が発祥の地で世界各国の学生フィルムを集めコンペティションにかけ、優秀作品のみを上映する映画祭だ。学生ものというと正直つまらないイメージを持つが、あなどるなかれ。海外、特にアメリカでは一度映像関係の仕事に就いた人がもう一度勉強しようと学生に戻ったりするので、プロの作品に近いものが集まる。優秀作品は見ごたえのあるものばかりだ。

5年前というと、ショートフィルムのはしりであり、コンテンツブームにあいまってショートフィルムはもてはやされていた。私は広報スタッフをしていたが、IT系の会社の人からよくお声がかかった。「ネクストフレームの作品をブロードバンドで放送させていただければ、いくらかビジネスになりますよ」と。

幸か不幸か、ネクストフレームの作品の版権は本国アメリカが管理していたので、やりとりがややこしい。しかも2,3分の作品も多く、製作者はかなりの数に上る。我らが実行委員会が製作者一人ひとりとネゴするだけの体力を持ち合わせていなかった。そんなわけで社会のブームにのるわけでもなく、ただひたすら独自路線を行く映画祭として今まで生き残ってきたのである。

運営は麻布にあるテンプル大学ジャパンが主に動き、その脇を映画に興味を持つ社会人や他大学の学生が固めた。東京国際フォーラムで3日間にわたってイベントを行うので、なかなかのやりがいがあった。

やりがいがあるということはそれなりに大変ということで、自由時間が持てなくなるとスタッフは少しづつ抜けていく。でも映画だし国際的だしということで興味を持つ人がちょっとづつ入ってくる。楽しい仲間と出会っては別れる。そしていつしかやる気みなぎる古スタッフは激減し、縮小傾向。かく言う私も2,3ヶ月かかる準備は手伝えず、当日スタッフとしてのヘルプしかできない。さらには主導権を握っていたテンプル大学の先生も具合を悪くして、主催が難しくなってしまい、新しいディレクターにまかせることになった、と今年になって聞いていた。

偶然にも新しいディレクター、その人は知り合いであり、映像監督でもある人。ドイツ人から見た日本に関する映画の製作に携わったり、いい作品を作る人でかなりユニークで尊敬できる人だ。この人なら映画祭をいい方向に持っていってくれる!ということで安心しきっていた。

安心はしていたのだが、今日そのリニューアルされたHPを見たら、映画祭の名前が変わっていた。NextFrameJapanがNextFrameNIPPONになっていたし、会場もお馴染みの東京国際フォーラムから渋谷の某ミニシアターに変更していた。

映画祭が存続してくれるのは嬉しい。なくなっちゃうのは嫌。でも名前も場所も変わってこれから形式もかなり変化していくだろうなーと思った。港を離れる舟を見送る気分。港に残される私と旅立つ舟。Have a nice tripと叫び、心でI miss you。
これからはお客さんとして観にいくよ。

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